特許秘話

私は2011年10月、丸3年かけて初めて特許を取得しました。ここでは特許取得への長い長い道のりについて思い出したことを少しずつ書き溜めていこうと思います。


<特許出願>
2008年10月17日(金)の夜のこと、私はNHKのドキュメンタリー番組一人、自宅で見ていました。確か世界的な食糧危機の特集でした。「中国って大きい国だなあ」などと思いながら、ぼんやり眺めていました。その時、ハタと思いました。「マスクが耳まで伸びていたらどうかなあ。。。中国の人たちに一人一枚買ってもらえたら、どうなるだろう???」

それからこれは特許だ!となぜかすごく前向きな気持ちになりました。その直後から私はネットで特許書類の書き方を検索しながら、書類を見よう見まねで作り始めました。次の土曜日曜と月曜の午前中まで3日間かけ、資料を書き上げた後、「とりあえず出願しよう!」10月20日(月)の午後に自分の足で特許庁までその資料を出しに行きました。特許印紙は特許庁で売っていることを知らず、道中新宿の郵便局で買ったことを覚えています。
特許庁の係りの方は私の書類を受け取ってくれました。「良かった!」と胸をなでおろし、帰途につきました。

<出願はしたものの。。。>
出願してから、私は数か所の特許関連の相談施設へ相談に行きました。(お金がないので無料サービスのところだけです。)ほぼ全ての場所の専門家の方から、「この内容では特許はとれませんよ。」という返事をいただきました。ほとんどの人からこれはどうにも取れるものではない(諦めなさい)と言われました。素人が力任せに作った出願なので当然といえば当然だったのです。私が作った書類には新規性と進歩性に問題がありました。
その時点で納得がいかなかった私は、2009年1月、秋葉原の知的財産総合センターへ相談にいきました(そこでは無料で特許関連のアドバイスが受けられます)。そこで私はアドバイザのYさんと会いました。(この出会いは後々、すごく貴重なものだったと分かります)。Yさんはそれはそれは親切で知識や経験もピカイチな優秀な方です。

Yさんは言われました。「この案件はこのままでは取れませんが、国内優先権出願を出して内容を修正・書き足せば取れますよ」と。

<国内優先権出願>
国内優先権出願というものがあります。一度、出願した文書に対し、半年以内ならば、それに書き足したり修正したりできる制度です。私の一度目の出願には特許としての進歩性が書かれていませんでした。マスクをつけることによって自分の呼気で耳まで暖かくできることを明記していなかったのです。このことを特許資料に書き足せば進歩性が認められることになります。
Yさんから上記のことを教わった私はすぐに書類を修正・付け加えをして翌年1月30日に特許庁に提出しました。これで特許は取れたようなものだと喜んでおりました。しかしそんなにうまくいくはずないことはこの後いやというほど知らされます。

<特許庁とのやりとりについて>
特許庁とのやりとりについて以下にご紹介します。
2008年10月20日 特許出願

2009年 1月30日 国内優先権出願(特願2009-39957)

2009年10月 9日 早期審査請求

2009年12月 8日 特許庁より拒絶理由通知書発送

2009年12月24日 拒絶理由に対して意見書・補正書を提出
2010年 2月 9日 特許庁より中間指令

2010年 2月12日 中間指令に対して補正書提出

2010年 2月23日 特願2009-39957について補正書提出
2010年 3月30日 特許庁より中間却理

2010年 5月18日 特許庁より手続却下

2010年 6月22日 特許庁より拒絶理由通知(2回目)

2010年 8月13日 拒絶理由に対して補正書と意見書を提出
2010年10月 5日 特許庁より拒絶査定送付

2010年12月16日 拒絶査定不服審判請求(不服2010-29688)
2011年 9月 6日 拒絶査定不服審判請求(不服2010-29688)に対し、特許庁より審決送付

特許庁からの却下や拒絶を通知される度にYさんに相談し、対策を考えていただきました。最後、拒絶査定が来た時もYさんに指導を乞いながら拒絶査定不服審判の書類を作りました。Yさんには本当に感謝しています。本当にありがとうございます。